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家纹篇

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    大舘。义兼四世孙基氏弟家氏。号大舘。

    『见闻诸家纹』には、小田又次郎知宪、肥田助太郎政秀、中沢、多贺、赤田、平尾。长宗我部氏がみえる。三つ叶の间に剣を配した武家好みのデザイン「剣酢浆草」はこのあと、戦国期に入ってからであろう。徳川氏関系の戦国大名では酒井、森川氏などがある。

    【丸の内二つ引両】

    桔梗。但幕者无纹水色。

    细川。义実次男义季。号细川。

    【酢浆草】

    もともとは海の彼方から渡来した贵族纹だが、武家社会に広く普及した。织田信长の家纹として有名だが、もとは朝仓氏の陪臣的家系だった。したがって朝仓氏も同纹。『见闻诸家纹』では、木瓜に二つ引両の富永氏、六つ木瓜の尾张守政长の被官游佐河内守、二つ木瓜に庵の海老名与七政贞、并び木瓜の岩城中务丞宗直、五つ木瓜の宫氏、大平氏。さらに、四つ木瓜の八木氏、大田垣氏、池田充正。三つ盛木瓜に二つ引両の三木氏などがみえる。

    四つ目结

    文中にひいた『见闻诸家纹』は、一名を「东山殿御纹帐」ともいわれる通り、室町幕府八代将军足利义政の顷の将军家を初めとして、守护大名から国人层に至るまでの诸家二百六十ほどを次第不同に収録したもので、武家家纹の研究には欠かせない史料としてつとに有名である。

    鎌仓幕府执事権北条氏の家纹として有名。戦国以前、早くも『蒙古袭来絵词』のなかに鳞纹は现われている。前北条氏の灭亡後、伊势新九郎が小田原に入り、北条早云を名乗る。以後、後北条氏一族の家纹として袭用、さらに拡充をみる。

    其之壱:

    源姓。八幡太郎。童名不动丸。或源太。従四位下。陆奥守。号金伽罗殿。镇守府将军。後冷泉院依勅。父頼义随兵。奥州之安倍贞任诛。其弟宗任为降人。攻戦间九ケ年。其後藤武衡家衡与攻戦事三ケ年。康平治暦。其间十二年也。合戦讨胜。首级得一万五千余天喜中上洛。为褒美依勅命。五七桐纹免许。故当家御纹。五七桐。二引両云々。桐者根本安家之纹也。八幡殿贞任御退治以後。御上洛之时。依被望申下赐此桐纹云々。

    武田。頼义男新罗三郎义光の末孙也。従四位下。伊予守镇守府将军。童名千手丸。永承五年。後冷泉院依勅。奥州安倍頼时攻。是时诣住吉社。新平复夷贼。干时有神托。赐旗一流。铠一领。昔神功皇后征三韩用也。神功皇后铠脇楯者。住吉之御子香良大明神之铠袖也。此裙之纹。割菱也。三韩皈国後。镇座於摂津国住吉。以奉纳干寳殿矣。今依霊神之感応。干源頼义赐之。可谓希代也。頼义三男新罗三郎义光虽为季子。依父钟爱伝之。即旗楯无是也。旗者白地无纹。铠有松皮菱。故义光末裔当家为纹。

    其之四

    上野。泰氏四男义有。号上野。

    【竹に雀】

    【丸に茑】

    【抱き稲】

    『见闻诸家纹』では、楢叶左京亮の対い立鹤、佐脇五郎明房の云月に舞鹤、波々伯部彦次郎贤豊の松喰い鹤、大和氏?远江の蒲生氏の二つ引両に対い立鹤、石川氏の飞び鹤がみえる。『永仓追罚记』には高井左卫门尉の松に鹤、南部氏の菱鹤、近江御门の後裔葛山备中の庵の内対い鹤などがある。戦国末期には、诹访氏や森氏の鹤の丸などがある。

    二つ引両に左三つ巴

    『见闻诸家纹』では、竹の丸に亀甲の朝仓下野守、三本竹の粟饭原氏、竹の丸に雀の上杉氏?箸尾藤徳丸、违い竹の河村氏、竹の丸に桐は明石越前守?上神氏?大鸟氏などがみえる。竹に雀纹は、上杉氏から长尾氏?伊达氏へと伝わっていった。その伊达氏はまた最上氏へと分譲している。

    一姓

    【洲浜】

    『见闻诸家纹』には越中松仓城主の椎名氏が用いたとみえている。豊臣秀吉の马标が有名。木下氏の出自だったからといわれる。木下の亲族福岛正则も立ち沢泻を用いた。このほk、大名家としては毛利、水野、土井、浅野、奥平、酒井氏その他が使用している。中国の戦国武将毛利元就が敌を追って川辺に至ったとき、水际に生えていた沢泻にカゲロウが止まっているのを见、「胜ち草に胜ち虫あり」と全军を励まし大胜を収めた话は有名。

    宇多源氏。佐々木大膳入道生観(注:京极氏、六角氏之祖)

    奉公一番衆曽我

    山名。重国嫡男重村。号山名。

    「土岐の桔梗一揆」といわれるように、桔梗のシンボルのもとに団结した土岐氏一族は美浓に威势を振るった。『见闻诸家纹』でも土岐氏の存在が明らかである。织田信长を倒した明智光秀、秀吉に忠节を尽くした加藤清正などいずれも土岐氏族と伝えられる。また、相模の太田氏は多田氏族の出自をもつが桔梗纹。太田道灌が有名。末裔の重正のとき家康に仕え、のち远江挂川五万二千石。

    吉见。义朝五男范頼子法师范円。吉见祖。

    『见闻诸家纹』では、井上右京亮贞忠の二つ远雁。违い远雁が小串氏、进藤氏、阿波の大西氏。菊水に二つ远雁が大芋氏。笹竜胆に二つ远雁が和州の越智氏。丸に三つ远雁が高宫氏。カコの内一つ远雁が高安河内入道永隆と饭尾左卫门大夫之种。『永仓追罚记』には、远雁金は安部殿。水に雁は小串五郎とある。信州では、滋野氏の流れを汲む海野、望月、祢津、真田氏らが雁纹。また同じ信州で、このほか井上、赤井、上林、山口氏らが同纹である。

    二引両、五七桐

    【丸に唐花菱】

    【丸に三つ叶柏】

    【立ち沢泻】

    【鹤の丸】

    【一つ远雁】

    『见闻诸家纹』では、贽川氏や平野氏の「放れ马」がみえる。平将门の後裔とする相马氏は、下総の相马から出て陆奥の相马郡へ本拠を移し、马の饲育放牧を司った。「繋ぎ马」を家纹に用いている。

    【平井桁】

    其之参

    【繋ぎ马】

    见闻诸家纹(注:又名东山殿御纹帐。室町八代将军足利义政撰)

    【桔梗】

    以上三管领也。

    近江の佐々木一族の代表家纹として有名。『见闻诸家纹』では、佐々木大膳大夫入道生観の四つ目结。二松?饭田氏の三つ目结。本庄氏の九つ目结、武藤左京亮信用が寄挂り目结、椎屋氏が四つ目结、本间氏が十六目结、能势氏が丸に十二目结纹とある。なお、佐々木氏の流れといわれる宇多源氏の武将京极?建部?亀井氏らも四つ目结。近江を出自とする尼子氏が七つ割り平四つ目结。越中の佐々氏は滋目结を用いた。

    渋川。泰氏之次男义顕之孙。

    土岐。頼光四世孙国房之末。国房者頼政之叔父也。童名文珠丸。正四位下。摂津守。镇守府将军。土岐氏。本出干源姓。故其为纹者。一変白色。乃以为水色。昔时唯用焉。是又所以贵其先也。後也有野戦时。取桔梗花挿干其胄以大得利窝矣、因为之例。逐置之水色之中。以为之定纹也。然不记其年月又其不知何人始为之也。源頼光为纹。末裔用之。故不得坚取其説。暂依其所闻。以书写而已。

    新田。重国次男义俊。大嶋。鸟山祖也。三男义兼。号新田。

    【织田木瓜】

    椎名氏、富田氏などのほか、高安河内入道永隆の纹が『见闻诸家纹』にみえる。戦国末期に台头した六郷氏や藤堂氏が茑纹を用い、徳川一族の松平诸家のほとんどが茑纹。しかし、応仁の乱直前のころの合戦をモデルに书かれた『永仓追罚记』には茑纹がない。従来、茑は葡萄の叶から考え付いたのではないかというが、それはおかしい。理由がわからない。ひとつの私见としてあげれば、足利氏の桐纹の下赐が、次第に直接的ではなく、多くは赔臣的立场への派生を帯び、そのまた家来へと枝条的となっていったため、桐纹泛滥を避けるデザイン的知恵が生まれたのではないだろうか。つまり至尊をはばかり、桐纹の下部の叶だけを残し、上の花を除いてその部分を叶に変えれば、桐纹が一転して茑の纹となる。まだ花咲かぬという谦譲の精神をこめ、末梢的系谱の人々へ与えたのではないだろうか。

    『见闻诸家纹』には、热田大宫司の千秋氏をはじめ、宗像大宫司氏郷、神谷、雀部、尾林、竹内、山内、水原、朝日氏などがみえる。山内氏の场合、一豊の父盛豊は织田氏に仕え、丹波の合戦のとき柏の枝を旗指物にして奋戦。胜利したとき枝に残った叶が三枚だけだった。よって三つ叶柏を家纹にしたと『土佐山内系図』に伝えているが、事実... -->>
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